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こんにちは、鳥取福部で海女をしています真田丸です。

7月の後半になり、暑さが本格的になってまいりました。
春からしばらくはウェットスーツの厚さ5mmでしたが、7月に入ってからは3mmで丁度よくなってきました(^^)

邪魔だった海藻も枯れて、少し荒れた日もあったのでほとんどきれいさっぱり流されてなくなり、岩ガキ漁もしやすくなりました。

 

そんな海女漁が最も盛んな時期ではありますが、実は鳥取の海女は約400年前から始まったと言われています。
想像より昔だったのでびっくりです。

場所は私が潜っている福部ではなく、青谷町にある『夏泊』という地域です。
夏泊地区は、戦国時代後期から江戸時代初期にかけて鳥取県東部を治めた亀井茲矩(かめい これのり)が、筑前国の漁師を定住させたのが始まりと伝えられています。
その漁師の妻は素潜りが得意で、住民に海女の技法を伝えて夏泊の伝統(夏泊海女)となったそうです。

1950年代で当時はウェットスーツがなく、白装束を着て漁をしていました。まさに!の格好ですね。
今で考えてみると、寒いし布だから水の抵抗もあるでしょうし、フィンもシュノーケルもないなんて信じられません。
およそ三十人くらいの集団で、「海女組合」という組織ができていたそうです。

しかし、その組合も高齢化と後継者不足で2013年に解散することになってしまいました。
現在、私は海女と名乗らさせてもらっていますが、伝統的な文化自体は継承していないので、歴史書や人伝で海女文化を学んでいます。
私が海女になり始めたころに、夏泊の大海女と呼ばれている80代の方とお話をさせてもらったことがありますが、本当に驚くような話ばかりでした。

そんな歴史の中で、地域は違えど、同じく岩ガキなどを採っていることが不思議な気持ちになった今日この頃でした。

紙を載せている本は、今も販売されているようなので、興味のある方は調べてみて下さい。
(少しだけ私のインタビューも載ってます笑)

7月は急な豪雨で少し土砂崩れがあったり、数日川の水が流れて濁りが酷く見えずらい日が続きましたが、それ以外は海日和が続いているので皆さん安全第一で、海を楽しんでくださいね。

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